武田信玄の戦勝を祝った
 
    
火 と ぼ し 祭 り
信玄の
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重要文化財指定
群馬県内最大級の火祭りとして、戦国時代から受け継がれてきました!
★毎年8月14・15日開催  時間はおおよそ日没からです★
  南牧村と長野県佐久市を結ぶ峠の一つに「余地峠(よじ)」があります今は大上峠という新道ができ、余地峠は訪れる人もなくひっそりとしていますが武田信玄の戦略道として重要であったと伝えられています。
  火とぼしの由来は、永禄四年(1561)に甲斐の武田が上州に攻め入ったとき、小幡領主の圧政に苦しんでいた領民が武田に味方し、松明に火をともして武田勢にみせかけ、小幡軍を打ち破ったことで、その勝利の喜びを火祭りの形で伝えられたという。八月七日には1火とぼし山の草刈り「大松明」の通る道を作りと、行燈つくりを地区の共同作業で行う。かつては、火とぼし山の頂上に「狼煙小屋」を麦藁で作り、そこに火を放ったいうが、現在は行われていない。
行燈作りでは、季節の野菜や「火祭り」「魂祭り」などの文字を画く。この行燈は、十五日の夜に行われる「オネリ」の行列の際に用いられる。
十四日は午後か松明作りを行う。山に持って上がる松明は、麦藁の束を繋いで尖塔形にした約二メートルほどのもので、両脇に麦藁を束ねた火振り用の小さな松明が二つ結びつけられる。また、大日向の安養寺には高灯籠が立てられる。
日が暮れ始めると、松明を担いだ子供たちがひとぼし山へ登り始める。山頂に着くと大松明に点火し、次いで小さな松明に火を移して振り回した後、燃え始めた大松明に綱を付けて引きずりながら山を下りてくる。大日向集落に掛かる通称「火とぼし橋」には、火振りに使う松明が橋の両端に用意され、山から下りてきた大松明火を分けてもらい、松明に綱をつけて火振りが始まる。
橋の欄干から身を乗り出し、
あるいは水際に立って一斉に振り回す。夜の闇の中で、松明は燃え盛りながら炎の弧を描いて勇壮に回転し、橋とその眼下の河原一帯は火祭りの様相となる。
十五日は、夜七時頃から「オネリ」始まる。行燈とを持った子供たちが先頭に立ち、大人たちが太鼓を胸に結び付け、二人ひと組で背中合わせになって
太鼓をたたき始める。それが行列となり、まさに喧嘩練りのような様相を呈し、安養寺まで練り歩く。安養寺着くと境内を三回回り、最後に先祖供養のための念仏を唱え祭りは終了する。
 
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